教祖・明主様について
PROFILE
明主様(岡田茂吉)は、明治15年(1882年)東京・浅草に骨董商の次男として生まれました。ご家庭は貧困ながらもご両親の温かい愛情を受けて成長された明主様は、芸術家を目指しますが、眼病により断念。その後、事業を起こし、一時は成功者と言われるまでになりました。
しかし、妻子との死別、経済恐慌による破産など人生苦の辛酸を味わう中で、次第に宗教に道を求め、精神世界を探求していきました。
昭和元年、45歳を迎えたとき、神からの啓示を受け、神仏の実在をはじめ霊的世界の実相、生と死の意義などの真理と共に、苦悩する人々の救済者として、また地上天国を樹立し、新たな文明を創造する遂行者としての使命を自覚されました。
明主様は、〝この世界は霊界と現界から成り立っており、人間の運命の根本は霊界にある〟という宇宙の実相と法則に基づき、人間の幸・不幸の原因は、人間の本体である「霊のくもり」にあることを明らかにされました。
そして、この「霊のくもり」の解消法として「
第二次世界大戦前には官憲の弾圧を受けましたが、戦争の
また、「美」を通して人々の魂の向上、浄化を図ることを願い、優れた美術品を
さらには、世界に拡大すべき地上天国のひな型として、神奈川県箱根に
また、土壌が持つ自然力を発揮させ、農薬や化学肥料を用いずに清浄な作物を育てる「自然農法」を全国に普及し、それを食することで健康な生活を送る人を広げられました。
※注1) 昭和32年に「世界
明主様略歴
BIOGRAPHY
1882年(明治15年)12月23日 | 東京都台東区橋場にて誕生、病弱な子ども時代を過ごす。 |
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1898年(明治31年) | この頃、肋膜炎に2度罹病、さらに肺結核となり不治の先刻を受けるが、菜食療法により治癒。 |
1905年(明治38年)5月 | 小間物小売商「光琳堂」開業。 |
1907年(明治40年)2月 | 装身具卸売「岡田商店」開業。この頃から約10年間、種々の病苦を体験。 |
1914年(大正3年)3月~7月 | 東京大正博覧会に簪を出展。銅牌受賞。 |
1915年(大正4年) | 装身具「旭ダイヤモンド」発明。 日本を含む世界10ヶ国の特許を取得当時の流行品となる。 |
1920年(大正9年) | 度重なる不幸を経験しその原因の探求に没頭。 |
1923年(大正12年) | 関東大震災によって事業が大打撃を受け、いよいよ宗教に求める決心をする。 |
1926年(昭和元年)12月 | 神示を受け、自己の使命を感得。見真実の境地に至る。 |
1928年(昭和3年)2月4日 | 事業から身を引き、病気治療を中心とする「救済活動に専念」。 |
1931年(昭和6年)6月15日 | 千葉県鋸山山頂にて「霊界」が夜の時代から昼の時代へと転換したことを感得。 |
1935年(昭和10年)1月1日 | 「大日本観音会」発会(世界救世教の前身)。自然農法の研究を開始。 |
1936年(昭和11年)5月15日 | 東京、麹町に「大日本健康協会」創立。 宗教団体とは別に新たな団体を設立し、健康法の普及を始める。 |
1944年(昭和19年)5月5日 | 箱根・強羅へ移転。翌年から聖地・地上天国のひな型「神仙郷」の建設に着手。 |
1945年(昭和20年) | 熱海にて聖地・地上天国のひな型「瑞雲郷」の建設に着手。 |
1947年(昭和22年)2月11日 | 「日本浄化療法普及会」発足。 |
1950年(昭和25年)2月4日 | 宗教法人「世界 |
1952年(昭和27年)6月15日 | 箱根美術館完成。 |
1952年(昭和27年)10月18日 | 京都・広沢池畔の土地を入手(聖地・地上天国のひな型「平安郷」)。 |
1953年(昭和28年)6月15日 | 聖地・地上天国のひな型「神仙郷」完成。 |
1954年(昭和29年)10月16日 | 聖地・地上天国のひな型「瑞雲郷」にて「救世会館」上棟式を執行。 |
1954年(昭和29年)12月1日 | 「自然農法普及会」発足。 |
1954年(昭和29年)12月11日 | 聖地・地上天国のひな型「瑞雲郷」「水晶殿」完成。 |
1955年(昭和30年)2月10日 | ご昇天。 |